地域の概要
富士川町鰍沢は、甲府盆地の最南端に位置し、北は南アルプス市、東は西八代郡市川三郷町、南は身延町、西は早川町に接している。西には御殿山(1,699m)、源氏山(1,826m)、無名山(1,907m)等を擁し、地形は急峻である。山あいを流れる大柳川、小柳川流域には帯状に平坦地があり、この流域と山間に集落が点在している。北東部は富士川沖積地氾濫原地帯で、地形は平坦、地味肥沃である。商店や住宅がこの地域に集中している。鰍沢の歴史は水と人間の闘争であった。峡北地区よりの釜無川と峡東地区よりの笛吹川、西八代より芦川が合流し富士川となり、鰍沢の禹の瀬で漏斗状に狭まることに加え、鰍沢本町地区が窪地であったことによる。特に近年では昭和10年には本町地区のほとんどが床上浸水し、2階から舟に乗ったという記述がある。鰍沢中学校の位置は東経138度27分49秒5、北緯35度32分31秒6、標高242m15である。
富士川水運の歴史の中にある鰍沢は日本三大急流の一つである富士川に沿い、かっては鰍沢宿と呼ばれ、江戸時代に口留番所がおかれたことでもわかるように交通の要所であった。慶長12年(1607年)将軍家康の命により角倉了以が富士川改修工事に着工、同17年富士川舟運が始まる。その時最上流部として『青柳』『黒沢』『鰍沢』の3か所に『河岸』を設け、中でも最も早く開かれ、最も大きかった河岸が『鰍沢』であった。鰍沢には甲斐の国は元より信州松本領・諏訪領からの貢米が集められた。貢米は船で今の静岡県岩淵まで下り、陸揚げされ、陸上輸送で蒲原へ、蒲原浜から再度船で清水湊に向かい、清水湊から江戸に海上輸送された。また、上り舟には畳表のリュウキュウ、砂糖、ホシカ、天草、塩等が積まれ、鰍沢から各地に荷馬車等で陸送された。明治36年(1903年)中央東線開通に打撃を受け、昭和3年(1928年)の富士身延鉄道全線開通により終結した。富士川水運以後の歴史的・地理的に重要な地域を占める鰍沢には、政治的・経済的に重要な機関が置かれた。特に明治以降、裁判所・検察庁・職業安定所・税務署・労働基準監督署・法務局・峡南地域県民センター・福祉事
務所・教育事務所等、多くの国及び県の出先機関がおかれてきた。(資料 鰍沢町史)まさに、富士川と共に発展してきた町である。
【参考文献 鰍沢町史】
人口・世帯数
旧鰍沢町は、昭和30年(1955年)に五開村と合併し、世帯数1,543、人口7,757となったが、人口はここをピークに減少に向かい、平成21年4月1日現在で世帯数、1,599、人口4,056人となっている。
年次 | 世帯数 | 人口 | 世帯人数(一世帯当たり) | 生徒数 | |
1955 | 昭和30年 | 1,543 | 7,757 | 5.03 | 324 |
1970 | 昭和45年 | 1,661 | 6,383 | 3.84 | 242 |
1980 | 昭和55年 | 1,659 | 5,911 | 3.56 | 237 |
1990 | 平成 2年 | 1,601 | 5,241 | 3.27 | 176 |
1998 | 平成10年 | 1,624 | 4,645 | 2.86 | 116 |
2000 | 平成12年 | 1,621 | 4,568 | 2.82 | 112 |
2005 | 平成17年 | 1,663 | 4,374 | 2.63 | 121 |
2006 | 平成18年 | 1,633 | 4,265 | 2.61 | 121 |
2007 | 平成19年 | 1,632 | 4,210 | 2.58 | 118 |
2008 | 平成20年 | 1,593 | 4,119 | 2.59 | 115 |
2009 | 平成21年 | 1,599 | 4,056 | 2.54 | 116 |
2010年3月8日、鰍沢町は増穂町と合併し、富士川町となった。以下の世帯数人口は、富士川町の数となる。
年次 | 世帯数 | 人口 | 世帯人数(一世帯当たり) | 鰍沢中学校の生徒数 | |
2010 | 平成22年 | 6,173 | 16,833 | 2.73 | 114 |
2011 | 平成23年 | 6,165 | 16,625 | 2.70 | 116 |
2012 | 平成24年 | 6,189 | 16,480 | 2.66 | 116 |
2013 | 平成25年 | 6,281 | 16,384 | 2.61 | 107 |
2014 | 平成26年 | 6,271 | 16,162 | 2.58 | 108 |
2015 | 平成27年 | 6,300 | 16,009 | 2.54 | 93 |
2016 | 平成28年 | 6,293 | 15,812 | 2.51 | 78 |
学校の沿革
新学制の発足に伴い、昭和22年4月21日から鰍沢国民学校の名称は改称され、鰍沢中学校・鰍沢小学校の両校となった。中学校は当初独立校舎がなかったため、小学校の一部の教室と講堂において授業を行った。昭和24年11月2日、第1校舎10教室が新築されたので、ここに名実ともに中学校の形態が整った。昭和28年8月29日特別教室4教室が建設されたので、施設は一応整った。昭和34年5月23日体育館が完成し、更に昭和36年9月17日生徒急増により3教室が増築され、昭和38年1月27日校旗樹立式を行った。昭和42年3月1日給食調理場(小中共同で小学校側)が竣工し、完全給食を実施するようになった。昭和45年7月7日学校無人化の施設が完成、昭和47年6月16日社会教育の夜間照明6基が設置された。(以降は項目により記載する)
昭和22年 4月21日 | 鰍沢中学校創立 学制改革により鰍沢国民学校が改称,鰍沢小学校の教室及び講堂において授業 |
24年11月21日 | 校舎(10教室)新築 鰍沢中学校として独立 |
28年 8月29日 | 特別教室4教室建築 |
34年 5月23日 | 屋内体育館建築 |
36年 9月17日 | 4教室増築(生徒数急増による) |
38年 1月27日 | 校旗樹立式 |
54年 5月12日 | 新校舎竣工 |
55年 4月 1日 | 五開中学校と統合 |
58年11月10日 | 文部省指定『生徒指導公開研究発表会』開催 |
61年 9月 7日 | 屋内体育館竣工 |
平成 4年10月12日 | コンピュータ教室開設 パソコン35台設置 |
6年 9月 1日 | 町単英語指導助手(ALT)採用 |
9年 6月29日 | 創立五十周年記念式典挙行 グランドピアノ寄贈 |
10年11月13日 | 文部省指定『人権教育推進研究発表会』開催 |
14年 2月 4日 | 校舎耐震大規模改修 |
15年11月28日 | 文部科学省指定『児童生徒の心に響く道徳教育』公開研究会 |
16年11月18日 | 鰍沢町センター校公開研究発表会 |
18年11月 1日 | 体育館ステージ幕贈呈式 |
21年 3月19日 | 校舎前駐車場拡幅 |
21年10月23日 | 学力向上ステップアッププラン公開研究会 |
21年12月20日 | 屋内体育館壁面改修 |
22年 2月26日 | 校庭南側の防球ネット設置 |
22年 9月27日 | 校庭にスプリンクラー設置 |
24年7月 | 普通教室にエアコン設置 |
25年2月 | 屋内運動場屋根大改修・灯油タンク設置 |
26年6月 | 「やまなし」道徳教育推進校指定(〜H27) |
26年11月 | 特別教室にエアコン設置・校舎屋上に太陽光パネル設置 |
28年2月 | 屋内体育館吊り天井撤去・照明LED化 |
28年8月 | 屋内体育館廊下及び挌技場壁面補修工事 |
生徒数(平成29年5月1日現在)
1年 | 2年 | 3年 | 合計 | |
男子 | 6 | 10 | 12 | 28 |
女子 | 10 | 8 | 13 | 31 |
計 | 16 | 18 | 25 | 59 |